当道用語集 た〜わ



たいこざとう【太鼓座頭】

 遊里の客に呼ばれて、三味線を弾いて小唄・浄瑠璃などを演じた座頭。

ちゅうろう【中老】

 三度以上の勾当をいう。

ちゅうろうびき【中老引】

 当道の階位。七十三刻の中にこの名称を持ったものがある。中老引に昇進するために納められた官金は、中老に分配された。

つなひき【綱引・綱曳】

 人康親王の領地が大隅・薩摩・日向にあり、その貢米が船に積まれて鳥羽の湊に運ばれたときに、当道に属する盲人たちがそれを出迎えて綱引の歌を歌ったと伝えられる。その故事にちなんで、二季の塔においては職検校が綱引を歌うことになっていた。

つぶいり【粒入り】

 当道に加入した盲人が、打掛の地位を経ずにいきなり座頭に昇進すること。初心の者が一度の座頭に昇進するためには12両の官金が必要であった。

どうしゅく【同宿】

 直接の師弟関係ではない者が「同宿かため」によって師弟の関係を結ぶこと。

A検校【学問所】=死亡または引退
   (Aの弟子)B検校=新たに学問所となる
      (Bの弟子)C座頭
   (Aの弟子)D勾当
      (Dの弟子)E座頭
F検校【学問所】

 Dの師匠A検校が死亡または引退すると、Dは検校ではないから自らが学問所になることはなく、Bの弟子ではないからBを通して官位の申請をすることもできない。このままでは学問所を通しての官位の申請ができなくなるので、このような場合には、自分の直接の師匠ではない別の学問所F検校と新たに「同宿かため」の契約を結んでF検校の同宿弟子となる。《師匠・弟子》を親子の関係に例えるならば、同宿は養子のような関係に相当する。→ 学問所 を参照。

とうどう【当道】

 中世から近世にかけて数百年間存続した盲人の組織。本来は平曲を語ることを主要な芸とし、のちには鍼治、音曲などにも携わった。これらの技芸は師匠から弟子へと伝えられ、当道は教育機関であるとともに互助的な組織でもあり、半自治的な性格をも持っていた。

 当道の本来の語義は「わが芸道」ということで、各種の芸能集団が自らを呼びならわすのに用いられたが、中世以降は専ら平家を語る盲人の集団の呼称となった。当道座内の伝承によれば、当道の祖は9世紀の人康親王で、失明後に盲人を集めて詩歌管弦を教えたことにあるとされるが、史実とは認めがたい。14世紀半ばに明石覚一が現われ、各地に存在していた平家語りの盲人集団を統一し、組織化した。そのため、明石覚一は当道の中興開山として後世まで尊崇された。

 明治4年(1871)11月3日、太政官布告第568号によって当道座は廃止された。

とうにん【塔人・頭人】

 積塔会・涼塔会において会式を主宰する検校。各派の検校が交代であたった。極めて重視された任務であったため、担当すべき塔人の役を務めなかった者は不座等の重科に処せられた。

としまかた【戸島方】

 当道の六派の一。一方に属する。


ながしんか【永請暇・長請暇】

 当道に属する盲人の死亡の婉曲的な表現。高位の検校などの場合は遠行(えんこう)と言った。

ながれこみ【流込】

 同宿弟子の弟子(孫同宿)が直接の弟子となったもの。

A検校【学問所】=死亡または引退
   (Aの弟子)B検校=新たに学問所となる
      (Bの弟子)C座頭
   (Aの弟子)D勾当
      (Dの弟子)E座頭
F検校【学問所】

 「同宿かため」によって新たな師匠F検校の同宿弟子となったD勾当に弟子E座頭がいた場合、Dは自分の弟子Eを引き連れて新たな師匠の傘下に入る。F検校から見るとEは孫弟子にあたるが、DがF検校よりも先に死亡した場合にはEはFの直接の弟子という位置づけになる。これを流込という。→ 学問所 を参照。

にきのとう【二季の塔】

 二月の積塔会と六月の涼塔会。当道における二大行事。

にゅうせき【入席】

 十老の席に入ること。


はいとう【配当】

 盲人の主要な収入源となっていた金銭の受領。官金の配当(下物)と運上の配当の2種があった。

 〔1〕下物(おりもの)。官位を得るために納めた官金が、座中の者に再分配されたもの。

 〔2〕運上。吉凶慶弔の際に一般の家庭や社寺から盲人に対して配布された金銀米銭。

 これらのうち、〔1〕は当道に属する者のうち在名(四度)以上の者が受けたが、〔2〕は座頭以下の者を含むすべての当道構成員のほか、瞽女も受けることができた。

はぎのじょうしゅうびき【萩の上衆引】

 当道の階位のひとつ。座頭の一度の上衆引。七十三刻では全体の下から5番目にあたる。単に「萩」と略称されることもある。→ 七十三刻 を参照。

はとう【派頭】

 当道各派の中でそれぞれの最上位の者。あるいは、京都においては職惣検校の所属する派を、江戸においては惣録の所属する派を除いた5派の中でそれぞれの最上位の者。

はれ【晴】

 当道の階位。七十三刻の中にこの名称を持ったものがある。晴に昇進するために納められた官金は、座頭に分配された。

ひゃくひき【百引】

 二度の勾当(送物勾当)の最初の階位。七十三刻の22番目にあたる。才敷衆分からの官金ちょうど200両で百引になるため、勾当に昇進するにあたってはこの階位に到達する場合が多かった。

ふざ【不座】

 当道に所属する座頭が不祥事などにより座から除名されること。

ふさん【不参】

 十老入りした検校が病気などを理由に京都の職屋敷に参集しないこと。

ふちざとう【扶持座頭】

 大名などに抱えられて扶持を受けていた検校・勾当。抱え座頭。

べっとう【別当】

 四官の一。勾当の上、検校の下の階級。権別当・正別当・惣別当の3階があるが、勾当から別当への昇進の際は、官金を一括して納めて権別当・正別当を飛び越え、惣別当任じになるのが通例であった。そして、惣別当任じに昇進した者は、日をおかずに残りの官金を納めて正式な検校に昇進した。したがって、別当にとどまっている期間は短く、一般には別当という官位の存在も座外にはあまり知られなかったため、通称では別当を含めて検校と呼ばれていた。惣別当任じに昇進した時点が権成であり、検校を名乗った。→ 七十三刻 を参照。

ほうじ【封事】

 地方在住の者が官位昇進を希望する際の事前申請書。申請の結果は告文(こうぶん)によって認められる。

ほうじびらき【封事開き】

 前年のうちに提出された封事を正月に開封すること。

ぼうしゅ【坊主】

 師匠。平曲の相伝に関わる師弟関係における師。


みょうかんは【妙観派】

 当道の六派の一。第3代職惣検校・井口相一(法名・妙観大徳)を派祖とする。

みょうもんは【妙門派・妙聞派】

 当道の六派の一。第9代職惣検校・森沢城聞(法名・妙聞大徳)を派祖とする。

もみざとう【揉み座頭】

 按摩導引によって生計を立てていた盲人。当道は元来、平曲を表芸としていたので、しばしば軽蔑のニュアンスを込めて用いられた。

もんてんき【聞天忌】

 永享8年(1436)6月15日に歿した塩小路慶一(法名・聞天道声大徳)の忌日。妙観・師堂両派の検校が出仕して行われた。


や・ら・わ

やさかき【八坂忌】

 文保2年(1318)7月2日に歿したという城玄の忌日。城玄は八坂方の祖とされ、妙門派および大山方の検校が出仕して行われた。

やさかかた【八坂方】

 平曲の流派。生仏の孫弟子にあたる城一に城玄、如一という弟子がいて、それぞれ八坂方、一方の祖となったといわれる。城玄は八坂殿と称され、この集団は洛東の八坂の周辺を拠点としていたらしい。当道の流派としては、妙門・大山の2派があり、八坂方に属する座頭は、「城○」という都名を名乗った。

りょうとうえ【涼塔会】

 人康親王の母(没年不明)の忌日にあたる6月20日の前日の6月19日に行われた人康親王の母の追善供養の法会。 積塔会とともに二季の塔といわれ、当道の最も重要な年中行事のひとつであった。 『教言卿記』には、応永12年(1405)の涼会に座頭検校等81人が会合した旨の記録がある。

 京都の風物詩のひとつとして知られ、積塔会同様、多くの見物人が集まったという。

ろくは / ろっぱ【六派】

 当道の六つの流派。妙観派、師堂派、源照派、戸島方(以上、一方)、妙門派、大山方(以上、八坂方)の6流派をいう。


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