当道用語集 あ〜こ



あずかり【預り】

 地方在住の学問所検校の官位取り次ぎを代行した京都在住の検校。

あんない【案内】

 地方在住の者が官位の昇進を申請する封事(ほうじ)が京都の職屋敷に届いた日限刻限を表す記録。正月元日付けでの官位昇進を希望する者の申請書は概ね前年の10月から12月ごろに到着する。

いちかた【一方】

 平曲の流派。生仏の孫弟子にあたる城一に城玄、如一という弟子がいて、それぞれ八坂方、一方の祖となったといわれる。平安京の東の市の近くの左女牛に盲人の集住地があり、そこを拠点としていたために一方と言われた。 当道の流派としては、妙観・師堂・源照・戸島の4派があり、一方に属する座頭は、「○一」という都名を名乗った。

いちな【都名】

 座頭の名前にあたるもの。通例、「○一」、「城○」などと称する。 当道に加入した者は、最初の官位である半打掛になると都名を名乗る。→ 七十三刻 を参照。

いんきょ【隠居】

 惣検校が病気・高齢などのために座を退くこと。惣検校以外の検校等の場合は常不参と言った。

うちかけ【打掛】

 当道の最下位の官位。 打掛の中には下から順に、半打掛、丸打掛、過銭打掛の3段階があった。 → 七十三刻 を参照。

初心・打掛の階級
4官16階通称73刻
初心(無官)
打掛 1半内掛
2丸内掛
3過銭内掛
 加藤康昭;『日本盲人社会史研究』,p.180〜181 より作成

うらがき【裏書】

 裏判に同じ。

うらはん【裏判】

 告文(こうぶん)の内容が適正であることを認めて、告文状の裏面に記された職惣検校の署名。告文は事実上は申請者(学問所)またはその代理人(預り)が作成し、職惣検校はその内容を追認する。申請者が職惣検校自身である場合は二老の名で署名がなされる。

うんじょう【運上】

 吉凶慶弔の際に盲人に対して行われた金銀米銭の配布。中世・近世期を通じて盲人の救恤のために認められていた慣習で、広く行われた。 伝承によれば、四条天皇の時代に吉事の際の11種の運上が定められたとされる。

 徳川家康が江戸幕府を開いた際に、伊豆円一の奏上によって従来の慣習である配当・運上が追認され、幕府の施策にならって各藩でも同様の慣習が行われた。 運上を受けることができたのは、検校から無官の者に至るまでのすべての当道構成員で、また瞽女も含まれた。官金の配当の恩恵に浴さない下級の盲人にとっては貴重な収入源となっていた。

えどそうろく【江戸惣録】

 元禄5年(1692)以来江戸に置かれていた惣検校が享保21年(1736)2月に廃止されたあと代わって置かれた。江戸や関八州などを統轄したとされるが、京都の職検校と区域を分担して管轄していたわけではない。 同年3月に初めて江戸惣録に任ぜられたのは島崎検校(登恵一:元禄16年権成)であるが、惣録の代数には3代の江戸惣検校を含めるため、島崎は第4代と数えられる。

えんこう【遠行】

 検校など高位の盲人の死亡の婉曲的な表現。一般の座頭などの場合は永請暇(ながしんか)と言った。

おおやまかた【大山方】

 当道の六派の一。八坂方に属する。

おしき【御職】

 惣検校(職惣検校)に対する尊称。職惣検校は座内の他の検校らからは「御職」と呼ばれた。

おもいつき【思付】

 妙観・師堂・源照・妙門の4派において、同宿かための際の弟子の帰属が弟子自身の意思によって決定されること。

 戸島方・大山方においては思付は適用されず、師弟関係を共有する同じグループ内の師兄(すひん)に帰属する。

おりもの【下物】

 座内で官位を得るために上納された官金は、下物と称して座内の構成員に分配された。 七十三刻の中に、上衆引、中老引、晴という名称を持ったものがあるが、それらに昇進するために納められた官金は、それぞれ、上衆(検校)、中老(勾当)、座頭に分配された。


かかえざとう【抱座頭】

 大名などに抱えられて扶持を受けていた検校・勾当。扶持座頭。

がくもんじょ【学問所】

 一門の総帥のような立場にある検校を学問所という。 官位の昇進の申請を京都の職屋敷に取り次ぐ権限は学問所検校のみが有している。弟子が昇進する際には学問所の名前で申請しなければならない。

 学問所であるA検校の弟子にB勾当がいて、その弟子にC座頭がいたとする。

A検校【学問所】
   (Aの弟子)B勾当
      (Bの弟子)C座頭

 この場合、A検校の弟子のBが昇進する際には学問所のAが申請者になる。Bの弟子にあたるCが昇進しようとするとき、直接の師匠Bは学問所ではないので申請の取り次ぎをすることはできない。師匠の師匠にあたるAの名前で申請することになる。 Bが検校になったとしても、Aが健在であるならばBは学問所になることはできない。Bが検校に昇進したのちに一門の総帥たるA検校が死亡または引退すると、Bは学問所となることができる。

 また、A検校に別の弟子D勾当がいて、さらにDに弟子Eがいたとする。そして、検校に昇進したBが学問所を継承したとする。  

A検校【学問所】=死亡または引退
   (Aの弟子)B検校=新たに学問所となる
      (Bの弟子)C座頭
   (Aの弟子)D勾当
      (Dの弟子)E座頭
F検校【学問所】

 Dは検校ではないから自らが学問所になることはなく、Bの弟子ではないからBを通して官位の申請をすることもできない。このままでは学問所を通しての官位の申請ができなくなるので、このような場合には、自分の直接の師匠ではない別の学問所F検校と新たに「同宿かため」の契約を結ぶ。

 《師匠・弟子》を親子の関係に例えるならば、同宿は養子のような関係に相当する。 Dから見てFは同宿師匠、逆にFから見るとDは同宿弟子になる。Dには弟子Eがいるので、この場合、DはEを引き連れて一緒にFの傘下に収まる。

かんきん【官金】

 〔1〕当道において昇進の際に必要とされる金銭。 階級ごとに金額が定められていて、最上位の検校(検校の晴)になるまでには合計719両を要した。→ 七十三刻 を参照。

 〔2〕座頭貸しにおいて貸し付けた金銭のことも官金と称した。

きざ【帰座】

 不座となった者が座に復帰すること。

けつげ【結解】

 京都の職屋敷で十老の下にあって主に会計担当の座務にあたった検校。

けんぎょう【検校】

 当道の階級の一。四官の中の最上位。 別当(惣別当任じ)に昇進した者は、日をおかずに残りの官金を納めて検校に昇進するのが普通であったので、別当を含めて検校と称した。 検校(別当を含む)になると、紫衣を着用し、両撞木杖を携行した。→ 七十三刻 を参照。

 当道の組織を確立したといわれる明石覚一は『師守記』にも登場しているが、最初に名が現れる暦応3年(1338)から貞和3年(1347)までは肩書なしで記され、貞治2年(1363)になって「覚一検校」と検校であることが明記される。 したがって、明石覚一の時代には検校という官位が存在していたことは確かである。 ただし、覚一が初代の惣検校になったという伝承については、同時代の資料からは確認できない。

検校の階級
4官16階通称73刻
別当権別当検校54上衆引
55中老引
56
正別当57上衆引
58中老引
59
惣別当60惣別当任じ
61上衆引
62中老引
63
検校検校64検校任じ
65上衆引
66中老引
67
 加藤康昭;『日本盲人社会史研究』,p.180〜181 より作成

げんざ【現座】

 座落ちの状態にない者。

げんしょうは【源照派】

 当道の六派の一。第5代職惣検校・竹永惣一(法名・皎月院徳院源照居士)を派祖とする。

こうとう【勾当】

 当道の階級の一。四官の中の第三位。一度から八度までの8段階に区分され、さらに細かくは35の刻目があった。→ 七十三刻 を参照。

勾当の階級
4官16階通称73刻
勾当一度過銭勾当19過銭之任じ
20上衆引
21
二度送物勾当22百引
23上衆引
24
三度掛司
(三度より中老ともいう)
25三老引
26五老引
27十老引
28上衆引
29
四度立寄30五十引
31上衆引
32
五度召物33三老引
34五老引
35十老引
36上衆引
37中老引
38
六度初の大座39三老引
40五老引
41十老引
42上衆引
43中老引
44
七度後の大座45三老引
46五老引
47十老引
48上衆引
49中老引
50
八度権勾当51上衆引
52中老引
53
 加藤康昭;『日本盲人社会史研究』,p.180〜181 より作成

こうぶん【告文】

 官位の昇進に関する人事発令書。官位の申請を行った学問所検校の名で発給され、惣検校がそれを認めたことを表す裏書(裏判)という署名が記される。

こじょ【瞽女】

 盲人の女性。特に、瞽女座に加入して活動した瞽女をいう。瞽女(ごぜ)。

ごぜ【瞽女】

 盲人女性のうち、瞽女座に加入して活動したもの。

ごんなり【権成】

 検校に昇進すること。別当は検校に準ずるものとされていたので、別当以上の官位に達することが検校になることと同義であった。

こんにちのけんぎょう【今日の検校】

 検校に対する降格処分の一種。本日付けで検校になった者として扱い、最も新参の検校、つまり検校の中で序列最下位に位置づけること。「不座 即日 帰座」ととらえることもできる。


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