盲目遠路を知る事    『慶長見聞集』巻の七


 三浦茂正(浄心 1565〜1644)の随筆。

    盲目遠路を知る事

 見しは今。江戸町に、下岡才兵衛と云ふ人、京へ上る。 始めての道なれば、善き連もがなと云ふ所に、座頭聞きて、「我れ此度、官の為め上洛仕る。結縁に、盲目を同道有りて給べかし」と云ふ。 才兵衛聞きて、「道知れる連をこそ願ひつれ。盲目は却つて道の妨げと思へども、結縁なり」とて同道し、品川に着きたり。 然るに河崎への駄賃銭、出入れに付きて、才兵衛、馬主と問答し、断止む事なし。座頭聞きて、「あら詮なき問答かな。河崎までの駄賃定りて候程に、我は代物を渡し馬を取りたり。馬方申す如く銭を渡し道を急ぎ給へ」と云ふ、 才兵衛聞きて、座頭盲目なれば、京までの遠路、駄賃差引をば、我に聞かずして渡す事、不届者なり」と叱る。 座頭聞きて、「我れ始めての上洛なれば、江戸より京まで、道の積り、馬次の在所を人に尋ね能く覚えたり。其上一里に付きて代物十六文つゞの定りにて隠れなし。 御存じなくば語りて聞せ申さん。江戸より二里参りて品川、是より二里半行きて河崎、二里半神奈川、一里半程ヶ谷、二里戸塚、二里藤澤、三里平塚、一里大磯、四里小田原、四里箱根、四里三島、一里半三枚橋、二里原、二里吉原、三里蒲原、一里由井、二里清見、一里江尻、三里府中、一里鞠子、二里岡部、二里藤枝、二里島田、一里金谷、二里新坂、二里懸河、二里半袋井、一里半見付、三里濱松、三里前坂、一里半荒井、一里白須賀、二里二河、二里吉田、二里御油、一里赤坂、二里富士川、二里岡崎、三里池鯉鮒、三里鳴海、一里半宮、七里舟、桑名、三里四日市、三里石薬師、一里半庄野、二里亀山、一里半関の地蔵、二里阪、二里土山、三里水口、三里石部、三里草津、四里大津、三里京までの道、合百二十四里なり」と云ふ。 在兵衛聞きて、「盲目奇特に道を覚えたり」と云えば、座頭聞きて「此上は京まで駄賃の差引をば、盲目に御任せ候へ」とて、遠路駄賃の問答もなく、目有る人が、目くらに教へられ、江戸より京まで上り付きたり。

  ―― 芳賀矢一校訂 三浦浄心作;『慶長見聞集』,冨山房発行 明治39(袖珍名著文庫;巻25) p196〜198
     国立国会図書館デジタルコレクション 『江戸叢書』巻の貳 「慶長見聞集」巻之七 盲目遠路を知る事 コマ番号256〜257/305


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