正徳・享保期の二季の塔
『月堂見聞集』


 本島知辰の『月堂見聞集』には、正徳2年(1712)から享保2年(1717)までの6年間の積塔・涼塔の次第が記録されている。 正徳2年の涼と翌3年の積塔を除く10回分の二季の塔の次第が明らかになっている。

 近世風俗見聞集 第1(国書刊行会本)
 コマ番号126〜/251 月堂見聞集


正徳2年(1712)2月16日  『月堂見聞集』巻之五

積塔平家次第

綱引 職 権太検校
延喜聖代 塔人 松下検校
  助音 吉坂勾当
小督 野川検校
  助音 瀧澤勾当
紅葉 秋山検校
  助音 豊崎勾当
城南離宮 宮原検校
  助音なし
老馬 成瀬勾当
  助音 床一座頭
 * 権太検校 = 権太伴一(妙観派)。以下、享保2年6月まで同じ。
 * 松下検校 = 松下もり一(源照派)。
 * 野川検校 = 野川らく一(妙観派)。
 * 秋山検校 = 秋山ごん一(師堂派)。
 * 豊崎勾当 = 豊崎唯一(師堂派)。この時は勾当だが、次の正徳3年6月の涼塔では豊崎検校として見える。
 * 宮原検校 = 宮原城きん(大山方)。

 ※ 他の勾当・座頭は不詳。

 「積塔平家次第」とあるように、この日のプログラムが簡潔に示されている。 「綱引」を語ったのが「職検校」の地位にあった権太検校、「延喜聖代」を語ったのが「塔人」を務めた松下検校、「小督」を語ったのが野川検校、というふうに読みとることができる。


正徳3年(1713)6月19日  『月堂見聞集』巻之六

源平家次第

綱引 職 権太検校
延喜聖代 塔人 中川検校
  助音 豊崎検校
女院御出家 野川検校
横笛 喜多井検校
小朝拝 久保田検校
  助音 成瀬勾当
千手 卜田検校
 * 源平家 = 「源」は「涼」の誤記と思われる。
 * 中川検校 = 中川うん一(師堂派)。
 * 豊崎検校 = 豊崎唯一(師堂派)。
 * 野川検校 = 野川らく一(妙観派)。
 * 喜多井検校 = 喜多井あ一(戸島方)。
 * 久保田検校 = 久保田城てい(大山方)。
 * 卜田検校 = 〆田城ゑい(妙門派)。

 この回は、次第に添えて簡単な説明文が記されている。おそらく、著者が誰かから聞いて得た知識であろう。

高倉通仏光寺上町清聚庵にてこれ在り、 是 検校の会所なり、南禅寺の派下なり、 是より四人は師堂・妙観・戸島・源照とて、四派の内より一人づつ出て勤る、 一説に妙門・大山を入て六派なり、 此中より勤む、
昔は桜関合せて八派なり、此の二派は今断絶す。
 * 是より四人 = 野川検校以下の4人を指す。「四派の内より一人づつ出て」は誤解。


正徳4年(1714)2月16日  『月堂見聞集』巻之七

積塔平家之次第

綱引 職 権太検校
塔人 江島検校名代 延喜聖代 小野川検校
  助音 松澤勾当
月見 伴能検校
  助音 由か一座頭
海道下 大本検校
  助音なし
老馬 村尾検校
  助音 杉村勾当
大塔建立 卜田検校 卜野勾当
 * 江島検校 = 江島城そう(大山方)。
 * 小野川検校 = 不詳。小野川るい一(妙観派)であるとすれば、本来の塔人江島検校と流派が異なる。
 * 伴能検校 = 伴能ちを一(妙観派)。
 * 由か一座頭 = 不詳だが、正徳2年2月の床一と同一人か。
 * 大本検校 = おそらく木本検校(師堂派)の誤り。 → 正徳6年2月。
 * 村尾検校 = 村尾くう一(源照派)。
 * 卜田検校 = 〆田城ゑい(妙門派)。


正徳4年(1714)6月19日  『月堂見聞集』巻之七

六月涼平家次第

綱引 職 権太検校
延喜聖代 塔人 島田検校
  助音 船澤勾当
足摺 野川検校
火打合戦 照島検校
小督 宮原検校
戒文 高井検校
  助音 成瀬勾当
 * 島田検校 = 島田りつ一(師堂派)。
 * 野川検校 = 野川らく一(妙観派)。
 * 照島検校 = 照島のぶ一(戸島方)。
 * 宮原検校 = 宮原城きん(大山方)。
 * 高井検校 = 高井城そく(妙門派)。  


正徳5年(1715)2月16日  『月堂見聞集』巻之七

積塔平家之次第

綱引 職 権太検校
延喜聖代 塔人 外山検校
  助音 ■川勾当
海道下り 松下検校
城南離宮 伴能検校
女院御出家 宮原検校
横笛 成瀬勾当
 * 外山検校 = 外山ぎん一(師堂派)。
 * 松下検校 = 松下もり一(源照派)。
 * 伴能検校 = 伴能ちを一(妙観派)。
 * 宮原検校 = 宮原城きん(大山方)。

 不明の文字の部分に「野ヵ中ヵ」と書き加えられている。野川(らく一)も中川(うん一)もこの前後の回に登場しているが、いずれも勾当ではないので正しくない。


正徳5年(1715)6月19日  『月堂見聞集』巻之八

涼平家次第

綱引 職権太検校

延喜聖代 小川検校
  助音 三つ矢座頭
千寿 伴能検校
  助音 三つ矢座頭
老馬 喜多井検校
少将都帰り 宮原検校
高野巻 高居検校
 * 小川検校 = 不詳(師堂派)。
 * 伴能検校 = 伴能ちを一(妙観派)。
 * 喜多井検校 = 喜多井あ一(戸島方)。
 * 宮原検校 = 宮原城きん(大山方)。
 * 高居検校 = 高井に同じ。高井城そく(妙門派)。


正徳6年(1716)2月16日  『月堂見聞集』巻之八

積塔平家之次第

綱引 職 権太検校
延喜聖代 塔人 西山名代 伴能
  助音 綾田勾当
教訓 木本
  同 上橋座頭
城南離宮 照島
厳島行幸 宮原
康頼祝詞 高居
  同 成瀬勾当
 * 西山 = 西山ひゃう一(妙観派)。
 * 伴能 = 伴能ちを一(妙観派)。
 * 木本 = 木本すい一(師堂派)。
 * 同 = 「助音」を指している。
 * 照島 = 照島のぶ一(戸島方)。
 * 宮原 = 宮原城きん(大山方)。
 * 高居 = 高井。高井城そく(妙門派)。


享保元年(1716)6月26日  『月堂見聞集』巻之八

検校源平家次第 鳴物停止に付延引

綱引 職権太検校
延喜聖代 塔人 村尾検校
老馬 藤冨検校
火燧合戦 中川検校
月見 成瀬勾当
卒塔婆流 高居検校
 * 源平家 = 「源」は「涼」の誤記と思われる。
 * 村尾検校 = 村尾くう一(源照派)。
 * 藤冨検校 = 藤富み一(妙観派)
 * 中川検校 = 中川うん一(師堂派)。
 * 高居 = 高井。高井城そく(妙門派)。

 正徳6年4月に7代将軍徳川家継が死去し、吉宗が後を継いで8代の将軍となった。 そして、6月22日に享保と改元された。 本来6月19日に行われる涼塔会が延期された背景にはこのような事情があると思われる。


享保2年(1717)2月16日  『月堂見聞集』巻之九

積塔平家次第

綱引 職 権太検校
延喜聖代 塔人 田浦
横笛 朝川
小督 桐山
海道下り 松下
祝詞 久保田

 * 田浦 = 田浦城こん(妙門派)。
 * 朝川 = 朝川きよ一(妙観派)。
 * 桐山 = 桐山ゆん一(師堂派)。
 * 松下 = 松下もり一(源照派)。
 * 久保田 = 久保田城てい(大山方)。


享保2年(1717)6月19日  『月堂見聞集』巻之九

検校涼平家之次第

綱引 職 権太検校
延喜聖代 久山検校
小松教訓 藤冨検校
城南離宮 喜多井検校
千手 宮原検校
月見 濱岡検校

 * 久山検校 = 久山さつ一(師堂派)。
 * 藤冨検校 = 藤富み一(妙観派)。
 * 喜多井検校 = 喜多井あ一(戸島方)。
 * 宮原検校 = 宮原城きん(大山方)。
 * 濱岡検校 = 濱岡城ふう(妙門派)。


記された当道・描かれた当道

近世当道