多度都は讃岐国大内郡湊村の農吉左衛門の子なり。両眼夙に盲し、且 母を喪ふ。長ずるに及び、父 之が為に盲官を求めて衆分に列せしむ。多度都人となり至孝、常に妻をして能く父に事へしむ。既にして妻を喪ひ、又義妹を配せしに、尋で又之を喪ひしかば、更に妻を娶る。後父風■を病み、起居便ならず。溺尿蓐を汚せども洗滌懈らず。父又酒肴を需む。夫妻謹んで之を侑む。父時に非理の言を作して曰く、田宅は皆我の有なり。汝宜しく盡く之を鬻いで以て吾が奉養に供すべしと。多度都承順違はず。遂に其の意の如くす。人の為に按摩して銭を取る毎に皆甘旨を致すこと六七年、猶一日のごとし。父の歿するに及び、哀毀已まず。能く喪事を修む。天明三年領主米を賜ひて之を褒すと云ふ。 ―― 『本朝盲人伝』,p89 |
* 後父風■を病み = ■は「やまいだれ+非」。「ふうひ」。 |
文部省普通学務局(石川二三造 編);『本朝盲人伝』,文部省(1919),repr.大空社(1987).
国立国会図書館デジタルコレクション 孝義録 [40] (讃岐)