吉弥は紀州和歌山坊主街に■居す。家貧にして按摩を業とす。姉由義と倶に母に事へて孝なり。母非理の言ありと雖も敢て其の意に違はず。将に出でて病家を省みんとするや、必ず母の手を執りて其の赴く所を告げ、帰れば先づ起居を問ひて其の脈を診す。毎に甘旨を購ひて之を薦め、家に在れば母の躰を按摩し、夏は団扇を揮ひて枕箪を涼しくし、冬は身を以て母の足を暖め、毎に爐火を戒めて終夜寝ねず。母沐浴すれば敢て其の湯を用ひず。蓋し之を敬すればなり。母微恙ありて食を減ずれば心を盡して其の好む所を進め、身粒を断ち、神に誓ひて、其の快癒を祈る。母年八十八に及んで剃髪す。吉弥貧困を顧みずして寿宴を開く。時に吉弥年已五十有余なれども、尚孝養の缺くることあらんを恐れて妻を娶らず。姉も亦嫁せず。母の齢九十を過ぐるに及び、相倶に之に事ふこと益々厚し。領主孝状を嘉して官に告げ、俸米三口を賞賜す。実に宝暦九年なり。 ―― 『本朝盲人伝』,p74 |
* ■居 = ■は「にんべん+就」。「しゅうきょ」。 |
文部省普通学務局(石川二三造 編);『本朝盲人伝』,文部省(1919),repr.大空社(1987).
国立国会図書館デジタルコレクション 孝義録 [39] (紀伊・淡路・阿波)