治之一(じのいち/はるのいち)

 治之一は越後国蒲原郡松橋村の農左兵衛の兄なり。両眼夙に盲し、後 鍼医を業とし、親に事へて孝にして、未だ嘗て其の志に違はず。母已に老衰す。治之一常に自ら飲食を薦め、夜は為に臥蓐を設く。母病に寝ぬ。治之一昼夜側に侍して目睫を変へず。毎に病家を省して時刻を移し、深夜に及び、其の家一宿を勧むと雖も、必ず帰る。其の謝金は之を弟に託して収蓄し、以て供養の資に充つ。寛延元年臘月領主米を賜ひて之を旌賞すと云ふ。

  ―― 『本朝盲人伝』,p64

 文部省普通学務局(石川二三造 編);『本朝盲人伝』,文部省(1919),repr.大空社(1987).

 国立国会図書館デジタルコレクション 孝義録 [29] (越後 上 佐渡)


孝養の盲人

近世当道