朝都は安芸国安芸郡仁和島淵崎浦の人。兄を平三郎と曰ふ。漁を以て業となす。朝都目盲して兄と同居す。母年七十を過ぎ、既に老衰せり。朝都母に事へ、毎旦蚤く起き、必ず安否を問ひ、盥を進めて嗽槃せしめ、且其の嫂に謀り、珍を調へては以て母に羞む。已に撤すれば之を洗浄して敢て嫂を煩さず。母性酒を嗜みしかば、毎日之を買ひて以て供し、或は母を扶けて沐浴せしむ。其の寝に就くに当りては、先づ席に奉じ、暑には涼室に席し、寒には温衣を著けしむ。常に地神経を誦して以て生計を営む。出づるには必ず告げ、事畢れば直ちに帰り、未だ嘗て一宿せず。毎に人に謂つて曰く、児幼にして眼を患ひ、医療百方すれども効なく、遂に明を失ふ。父母の劬労常人に百倍せり。其の恩豈忘るべけんやと。兄の外に在るや、必ず母の側に侍し、嫂と奉養怠らず。終始一日の如し。領主之を褒して米を賜ふ。実に元文二年五月なり。 ―― 『本朝盲人伝』,p59 |
文部省普通学務局(石川二三造 編);『本朝盲人伝』,文部省(1919),repr.大空社(1987).
国立国会図書館デジタルコレクション 孝義録 [37] (安芸 上)