正都は備前児島郡山村の人なり。少くして明を失ひ、家甚だ貧しけれども、其の妻と倶に母に事へて色養甚だ至る。母齢八十、正都も亦六十を過ぎ、身衰老すと雖も、屡々神祠に詣りて母の益々健ならんことを黙祷し、帰路には必ず酒を買ひて以て薦む。母の尤も之を嗜むを以てなり。常に母をして澣濯の衣を服せしめ、夫妻は襤褸を著け、僅かに以て寒を禦ぐ。正都常に人の傭となり、岡山に赴き、数日を経て帰れば、膝下に跪き、其の見聞することを話し、以て其の心を慰む。妻は常に夫を扶けて■々の状をなさしめず。元文二年池田安国其の孝を賞し、廩米若干を其の夫妻に賜ふと云ふ。 ―― 『本朝盲人伝』,p59 |
* ■々の状をなさしめず。 = ■は「にんべん+長」。 |
文部省普通学務局(石川二三造 編);『本朝盲人伝』,文部省(1919),repr.大空社(1987).