重都は会津馬場街の盲人なり。性至孝、能く父母に事ふ。出づれば必ず其の方を告げ、帰れば必ず其の事を復す。父の病に寝ぬるや、常に湯液に侍し、又自ら穢衣穢■を洗滌し、敢て母を煩さず。父歿して家益々貧し。母に事へて益々謹む。毎旦蚤く起き、啻に薪水を操るのみならず、或は雪を掃き、或は塵を払ひ、且 豆を■磨して粉となし、以て餅■を製し、之を市に鬻いで生業となす。其の家に在るや、常に歓笑謔談 以て能く母の心を慰む。鄰人或は以為へらく、親戚故旧を聚めて之と語るならんと。之を窺えば四壁の中唯母子の対話するを見るのみ。元禄四年官俸米を賜うて、其の至孝を褒すと云ふ。 ―― 『本朝盲人伝』,p42 |
* 自ら穢衣穢■を洗滌し = ■は「あなかんむりの下に兪」。「ゆ」。 * 豆を■磨して = ■は「龍の下に石」。「ろう」。 * 以て餅■を製し = ■は「食へん+羔」。「こう」。 |
文部省普通学務局(石川二三造 編);『本朝盲人伝』,文部省(1919),repr.大空社(1987).