長薫は陸奥大沼郡伊南郷黒澤の人なり。両目盲す。家甚だ貧にして、父母老衰し起居に便ならず。長薫音曲の技を善くせず。日に農家の傭となり、或は舂き、或は■し、其の賃銭を得て以て奉養に供す。 傭主食を餽(おく)れば、其の半を舎き、帰りて父母に遣る。 又常に瓢を腰にして行き、酒を進むるものあれば自ら飲まず、必ず之を其の中に容れ、携へ帰りて親に薦む。 更に其の余を与ふれば、辞して受けず。苟も其の義にあらざれば、一介も以て之を人に取らず。 傭を畢へて帰れば、身疲労すれども、必ず薪を山中に採り、以て炊爨の資に充つ。 冬夜は火を燃して暖を取り、按摩して旦に達す。 夏日は扇を揮うて涼を取り、或は奇を談じ笑を献じて、父母の心を慰む。 凡そ一挙手一投足も苟もせず。 近傍に流あり、只見川と曰ふ。橋ありて路を通ず。長薫未だ嘗て之を渡らず。乃ち迂曲して浅き処に就き、衣を掲げて渉る。 人其の故を問へば、曰く、夫れ憂を父母に貽すのみならず、復之を養ふものなし。豈浅きを渉るの虞なきに若かんやと。 其の純孝此の如し。 明暦三年秋事官に聞ゆ。俸米を父子に賞賜して、其の養を終へしむと云ふ。 ―― 『本朝盲人伝』,p30 |
* 或は■し = ■は「龍の下に石」。「ろう」。 |
文部省普通学務局(石川二三造 編);『本朝盲人伝』,文部省(1919),repr.大空社(1987).
国立国会図書館デジタルコレクション 孝義録 [14] (陸奥 三)