『糸竹初心集』巻下
三味線の次第の事 抑 日本に三味線をひき初めし事は、文禄のころほひ、石村検校と云ふ琵琶法師あり。 心たくみにして器用無双の者なり。 あるとき琉球の島にわたりけるに、かの島に小弓(こきう)といひて、糸を三筋にて鳴らす物あり。小き弓に馬の尾を絃にかけて引くなれば、小弓とは云ふとぞ。 石村これを探りみるに、琵琶をやつしたる物也。いとのしらべやうも、一二はびはのごとく、三の糸はびはの三よりも二調子ほど高くあはせたるもの也と思へり。 所のものいひけるは、此島には真蛇の多き所なるが、らへいかといふものありて此まむしを食物とする、さればらへいかのなく声、小弓の音に少しもちがはざる故、真蛇を退けんが為に専ら引く也。琵琶法師も、爰に逗留の間は、引き給へといふ。 其後石村京都にかへりて、おなじく琵琶此をやつし、三味線をつくり出せり。 琉球の島よりえて来るといふ心にて、りうきうぐみといふ事を作りおけり。 弟子虎沢検校に残さず伝へしかば、虎沢またくみはてと云ふ事を作り出す。虎沢より山野井検校伝授して、世にひろまる。糸のあはせやうはこれも一二は琵琶のごとく、三の糸は琵琶の四の糸調子也、たやすきものに似て、はなはだ引きえがたきもの也。 ――『糸竹初心集』巻下 |
* らへいか
神戸愉樹美;「胡弓とrabeca ――ソフトとしてのキリシタン起源説――」,『日本伝統音楽研究』第7号 2010年3月 pp37〜59