運上


 吉凶慶弔の際に盲人に対して行われた金銀米銭の配布を運上という。 中世・近世期を通じて盲人の救恤のために認められていた慣習である。 伝承によれば、四条天皇の時代に吉事の際の11種の運上が定められたとされ、徳川家康が江戸幕府を開いた際に、伊豆円一の奏上によって従来の運上の慣習が追認された。

 運上を受けることができたのは、検校から無官の者に至るまでのすべての当道構成員で、瞽女も含まれた。 官金配当の恩恵に浴さない下級の盲人にとっては、運上は貴重な収入源となっていた。

 11種の運上とは、次のとおり

  (1) 婚礼時の水鉄(おはぐろ)の料
  (2) 出産時の産衣の料
  (3) 深曽木(七五三)の料
  (4) 袴着の料
  (5) 元服時の烏帽子官途の料
  (6) 家督の冥加金
  (7) 新宅のかまどの料
  (8) 蔵建ての造作の料
  (9) 寺院の堂供養の料
  (10) 寺院の鐘供養の料
  (11) 神社の遷宮の料


『当道大記録』の運上の由来

  東照権現様より永く下し置かれ候 配当物の事

一 人王百八代後陽成院御宇 慶長八年
源家康公 天下御一統に治めさせ給ふ節 時の座上伊豆惣検校ゑん一 恐悦に出られ 先格の通り御礼申し上げ終はり候はぬ時に
東照宮 当道古代の義 御尋ね有らせらるるに依りて 伊豆検校ゑん一 古例の趣一々申し上げしかば
東照宮 聞こし召し分けなされ、当道の格式 古例の通り相違なく検校・勾当には座中の官物永代下し置かれ 座頭以下の者共には前々のごとく諸道の運上を下し置かるの旨 仰せ付けらる。
則ち天下泰平の御祝儀として 鳥目千貫文下し置かれ頂戴し 仰せ付けられ候。 猶 御家門方 其の外諸大名・諸旗本・御家人・寺社・百姓・町人に至る迄 諸道の運上 以来相違なく当道へ差し出すべき旨 一統に仰せ出ださる。 其の上 当道の式目御改め これ有り。 自今 右之条々 堅く相守るべき旨 伊豆検校へ仰せ付けられ 御請申し上げ候。 此の時より 別て当道の式法 諸道の次第 正しく定まりぬ。 これに依りて 御代々将軍宣下 又惣検校継目御礼申し上ぐる事 先例なり。 右運上と申すは 四条院御宇 上へ召し上げ置かれ候諸道の運を当道へ下し給ふ。 是れ配当の始めなり。
  婚礼に水鉄の料
  婦人出産に産衣の料
  男子は勿論 女子にても惣領は産衣の料有り
  次 深ヶ曽木料
  袴着の料
  元服に烏帽子官途の料
  家督の冥加金
  新宅に竃の料
  蔵建に新造作の料
  寺地にては堂供養の料
  鐘供養の料
  社にては遷宮の料
  法事にては僧供養の料
  扨又 凶事にては荼毘の運上

是れ等は 古しへより御上へ召し上げられ候処の小物成にて これ有るを 御憐愍を以て当道へ下し置かれ候。 猶又 武家よりの憐愍にて
  国譲  新知  加増
  役替  所替  任官
  番入  入部  入国
此の外
東照宮様 御憐愍を以て
  御縁組  御結納
  御誕生  御宮参  御祝儀
右の通り頂戴仕り候様 仰せ付けられ候故 末々の座頭共 取り続き生々世々 有りがたく昇進仕り候により 右官物を以て検校・勾当迄 渡世安く仕る事 是ひとへに御上の御尊恩のため也

  ―― 『当道大記録』


当道座

近世当道