官金の分配


 当道座中の者は官金を上納して、七十三刻という座中の階級を昇っていった。 上納された官金は「下物(おりもの)」とか「配当」とかと称して座中の者に分配された。 『当道大記録』所収の「米配り様之事(こめくばりようのこと)」は、上納された官金が、だれに、どれほど分配されるかを記している。 「米配り様之事」という標題が示すように、分配を受ける額は金銭ではなく米の分量で表される。

 これについて、中山太郎は、「斯うした述語(引用者注:七十三刻の官名などを指す)や分配法は明石覚一が当道の座法を規定せし頃は社会一般の常識であったのが、 時代の推移せるため斯く難解となっただけであって、当時、殊更に古きを装ふ必要から難解のものを択むで転用したのでは無いか」* と推論している。

 * 中山太郎;『日本盲人史』,1934.p186〜187

 当道の任官(官位の売買)は、その発生当初の室町時代には米穀で行われたが、実際にはかなり早い段階で金銭に移行した。 しかし、「古風に見せるため」に、江戸時代になっても記述を改めず、その結果、形式上は米の分配という古風な方式が後世まで踏襲されていた。 実際には、下物は米ではなく現金で分配されていたのであろう。

当道の階級と官金
4官16階通称73刻官金
初心(無官)(0)
打掛 1半内掛  4両
2丸内掛  3両2分
3過銭内掛    2分

 初心の者が最初の官位である半打掛になるには4両の官金を納める。 それは、まず職検校へ1斗、職以外の検校へ5升ずつ、職事(職屋敷内で事務をつかさどる晴眼者)へも5升が分配された。

 次の丸打掛になるための3両2分は、職以外の検校に5升ずつ分配された。 1斗とか5升とかというのは、金銭が米の分量を装って表示されているに過ぎないから、個々の検校が受け取るのは現金である。 おそらく一定の換算比率が定められていたに違いない。 当然、受け取る金額は米価の変動などとは関係ない。

 ごく大まかに、米1石を金1両と仮定して換算すると、4両あるいは3両2分という金額は、最大限70〜80人程度の検校への分配をまかなうことができる計算になる。


当道の階級と官金・配当

 総額719両という官金を配分先ごとにみると、約3分の1が検校に、2割弱が勾当になる。 検校と勾当は、人数では座中のいずれも約5%ほどに過ぎないが、総額の過半の分配を受けていた。 人数で約90%を占める座頭への分配は全体の半分にも達しない。

 (注) 座頭の下には、官金配当の恩恵を受けることのない打掛・初心という階級があった。 打掛・初心の人数は座頭以上の総人数を上回り、少なくとも数千人程度であったと考えられる。 当道の総人数を、打掛・初心を含めて考えると、検校と勾当はそれぞれ全体の2%程度であったかもしれない。

 以下の表の中の「一人あたりの配当」はおおよそのもので、実際にはもっと複雑である。 この表は、基本的には各階の「晴」の地位にいる者の配当を示しているので、「晴」ではない者には支給されない場合があり(後に「晴」となった時に精算される)、 表に記述しきれない細かな例外もある。

 表では省略したが、前述のように職事に対する配当もあり、その配当総額は四度のそれよりも若干多い。

当道の階級と官金・配当
4官16階通称73刻官金配分先一人あたりの配当
(米の分量で表示)
初心(無官)(0)
打掛 1半内掛  4両検校へ    5升
2丸内掛  3両2分検校へ    5升
3過銭内掛    2分(なし)(なし)
座頭一度衆分 4才敷衆分  4両検校・勾当へ検校 2升5合
勾当 2升5合
5(萩の)上衆引  4両検校へ    5升1合
6中老引  4両勾当へ二度〜八度 5升1合
一度 3升8合
7 20両座頭へ萩の上衆引〜四度 5升
才敷衆分 3升8合
二度 8上衆引  6両検校へ    7升5合
9中老引  6両勾当へ二度〜八度 7升5合
一度 6升3合
10 30両座頭へ萩の上衆引〜四度 5升
才敷衆分 3升8合
三度11上衆引  4両検校へ    5升1合
12中老引  4両勾当へ二度〜八度 5升1合
一度 3升8合
13 20両座頭へ    2升5合
四度在名 または 四度14上衆引 22両検校へ  1斗7升5合
15送り物引  6両勾当へ(15〜17をあわせて)
二度〜八度 1斗2升8合
一度 1斗
16大座引  3両勾当へ
17中老引  6両勾当へ
18 25両座頭へ萩の上衆引〜四度 5升
才敷衆分 3升8合
勾当一度過銭勾当19過銭之任じ  3両検校へ    2升5合
20上衆引 17両検校へ  2斗
21 10両勾当へ二度〜八度 1斗2升5合
一度 1斗
二度送物勾当22百引 10両検校へ(職検校を除く?)
  1斗
23上衆引  6両検校へ  1斗
24  4両勾当へ  1斗
三度掛司
(三度より中老ともいう)
25三老引    1分検校へ二・三老のみ 1斗
26五老引    1分検校へ四・五老のみ 1斗
27十老引    2分検校へ六〜十老のみ 1斗
28上衆引  6両検校へ(二〜十老を除く?)
  1斗
29  5両勾当へ二度〜八度 1斗
一度 7升5合
四度立寄30五十引  5両検校へ(職検校を除く)
    5升1合
31上衆引  5両検校へ  1斗
32  5両勾当へ  1斗5升1合
五度召物33三老引    1分検校へ二・三老のみ 5升
34五老引    1分検校へ四・五老のみ 5升
35十老引    2分検校へ六〜十老のみ 5升
36上衆引  4両検校へ(二〜十老を除く?)
    5升1合
37中老引  5両勾当へ    5升1合
38 25両座頭へ    5升
六度初の大座39三老引    2分検校へ二・三老のみ 1斗5升1合
40五老引    2分検校へ四・五老のみ 1斗5升1合
41十老引  1両検校へ六〜十老のみ 1斗5升1合
42上衆引  8両検校へ(二〜十老を除く?)
  1斗5升1合
43中老引 10両勾当へ二度〜八度 1斗5升1合
一度 1斗2升5合
44 40両座頭へ萩の上衆引〜四度 1斗
才敷衆分 7升5合
七度後の大座45三老引    2分検校へ二・三老のみ 1斗5升1合
46五老引    2分検校へ四・五老のみ 1斗5升1合
47十老引  1両検校へ六〜十老のみ 1斗5升1合
48上衆引  8両検校へ(二〜十老を除く?)
  1斗5升1合
49中老引 10両勾当へ二度〜八度 1斗5升1合
一度 1斗2升5合
50 40両座頭へ萩の上衆引〜四度 1斗
才敷衆分 7升5合
八度権勾当51上衆引 10両検校へ  1斗5升1合
52中老引 10両勾当へ二度〜八度 1斗5升1合
一度 1斗2升5合
53 30両座頭へ四度 1斗
(一度〜三度は配当なし)
別当権別当検校54上衆引 10両検校へ  1斗5升1合
55中老引 10両勾当へ二度〜八度 1斗5升1合
一度 1斗2升5合
56 30両座頭へ四度 1斗
(一度〜三度は配当なし)
正別当57上衆引 10両検校へ  1斗5升1合
58中老引 10両勾当へ二度〜八度 1斗5升1合
一度 1斗2升5合
59 30両座頭へ四度 1斗
(一度〜三度は配当なし)
惣別当60惣別当任じ 20両検校へ職検校のみ 3斗 3合
61上衆引 10両検校へ(職検校を除く)
↓(65でまとめて配当)
62中老引 10両勾当へ↓(66でまとめて配当)
63 30両座頭へ↓(67でまとめて配当)
検校検校64検校任じ 45両検校へ職検校のみ 6斗 3合
65上衆引 10両検校へ(職検校を除く)
(61と合計して)
  9斗 6合
66中老引 10両勾当へ(62と合計して)
二度〜八度 5斗 3合
一度 3斗2升8合
67 30両座頭へ(63と合計して)
四度 2斗
(一度〜三度は配当なし)
合計719両……

  加藤康昭;『日本盲人社会史研究』,p.180〜181
  『当道大記録』 「米配り様之事」 ―― 渥美かをる・前田美稲子・生方貴重(編著);『奥村家蔵 当道座・平家琵琶資料』.p19〜21
  『当道用覚書』 「第二 小割の米高取用の次第」 ―― 同書.p93〜97
  より作成


 「米1石 = 金1両」の換算では、半打掛の4両で検校80人に一人5升ずつの配当をまかなうことができた。 実際には、検校の人数は江戸時代のほとんどの時期で100人を超え、最も多い時には200人に達した。 一見すると、計算上は官金が足りなくなってしまうように思われる。 しかし、権勾当以上の各階位の「晴」の官金は、座頭の中でも四度の者にしか配当されないので、 配当に回る額は30両のうちのせいぜい2両程度に過ぎず、大半が剰余金となる。 剰余金の中からは職事の取り分を含む座の運営費用などが計上されるが、官金と配当の収支という観点からは、座の財政が困窮することはなかったと考えられる。


当道座

近世当道