当道雑記 9
9 座頭の名
9-1
座頭にも個人の名前があったのはもちろんだが、どう名乗り、どう呼ばれたかは、その時代の音声資料が残っていないので文字で書かれたものを参考とするほかはない。
後世に伝わる座頭の名前は文字を用いて書かれている。文字で書くというのは晴眼者によってなされる行為であるから、座頭の名は晴眼者のフィルターを通したものになっている。 9-2
「いち」は繁華な場所を意味する。盲人の集住地である。文字ではさまざまな字が当てられる。
「当道要集」には、「昔いちの字に都の字を書事雖有子細中興一文字に改めつると申し傳事」とある。明石覚一によって「一」が正当な表記とされたが、実際にはその後も「都」「市」なども併用されていた。 9-3
『醒睡笑』から。
和泉の堺、市の町に、金城(きんいち)とて平家の下手あり。 正月初参会に出でて、「祝儀を申さんや」と伺ふ。 琵琶を調べけるに、座敷静まりたれば、「わが平家を真にかまへ、皆人よくきかるるぞ」と思ひ、長々と語る。 役人出でて、「もはや平家をお止めあれ。人は平家の始まると、そのまま立って一人もないに」と。
―― 『醒睡笑』巻之六 推はちがうた 岩波文庫(下) p68
『醒睡笑』のこの話に登場する座頭の名「金城」には「きんいち」と仮名が付されている。 別の話では「作城」を「さくいち」と読ませている例がある(岩波文庫(下) p76)。 「いち」に「城」の字をあてることもあったらしい。 「城」もまた同様に繁華な場所を意味するものであっただろう。
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近世当道