当道雑記 4


4  稼ぎの悪い者

4-1
 座の経営という観点からすると、有能な琵琶法師(稼げる演奏家・鍼按家)は欲しいが、稼ぎの悪い者は不要。
 かと言って、稼ぐ力のない者を排除してしまうわけにもいかない。経験の浅い未熟な者を能力が低いと見なして除外してしまうと後継者の育成ができない。
 能力の低い者も含めて集団を形成していくことにも何らかのメリットがあったはずだし、能力の低い者を抱え込みながら組織を維持していくための工夫もあったはずだ。

4-2
 中には、能力が低いどころか、まったく期待できないレベルの者もいたはずだが、そのような者も含めて抱え込んでおく。
 稼ぎの悪い者であっても、その者の出身の村における興行権の確保に寄与する等の点で存在意義はあったのかもしれない。

4-3
 高田の瞽女の場合。

 瞽女の家(瞽女屋敷)で生活する人数はそれぞれ違う。親方の裁量の違いが人数にも大きく影響した。この点では、相撲の社会に酷似している。親方のスカウト力がものをいう。基本的に喜捨で得たお金や食料(おもに米)は、人数で平等に分ける規則になっていた。だから、大人しかいない杉本家と組む草間家にいる幼い(旅に出ることが少ない、つまり喜捨を得る機会が少ない)瞽女も一人前として計算される。瞽女という世界を維持していくための知恵なのだろう。
 ―― 大山眞人;『瞽女の世界を旅する』,平凡社新書1024(2023).p73

 この世界では、頭数に数えられるというだけで存在意義がある。

4-4

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 高知県の郷土史家 廣江清の「近世瞽女座頭考」は、高知の城下町あるいは田舎でも開けた地方には芸達者な盲人がいたことを、いくつかの例を引いて説明している。
 その反面、「田舎には、無芸の盲人も多かったに違いない」として、次の例を挙げている。

  一坐頭壱人  慶伝 但無芸
  一瞽女壱人  千重
    但三味線芸小々仕申候
        (『御改正風土取縮指出牒 川北村』)
  一坐頭壱人  歌吟 但無芸
        (『佐喜浜郷浦御改正廉書指出』)

 ―― 廣江清,「近世瞽女座頭考」;『土佐史談』157号,土佐史談会(1981). p2

 当時の盲人は音曲や鍼按など何らかの芸をもってを立てるのが一般的ではあったが、中にはそのような能力にたけていない者もいたわけで、「無芸」とされる者がいたとしてもおかしくはない。
 注目すべきは坐頭(座頭)の名である。初心の名を名乗っている。男性盲人だからということで一律に座頭と記録しているのではない。「無芸」であっても当道には所属している。


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