10 桜派・関派
10-1
『月堂見聞集』巻之六に、「昔は桜関合せて八派なり、此の二派は今断絶す。」とある。
正徳3年(1713)6月19日の涼塔に関する記述。
( 近世風俗見聞集 第1(国書刊行会本) コマ番号 181/251 )
10-2
『駿国雑志』のこの記述の直前には、「妙観派は… 師堂派は… 妙門派は… 大山方は… 戸島方は… 源照派は…」と、六派についての説明がある。
〔時代実名官途知れず。〕という割注は、関某、佐倉(桜)某という人物の存在を想定しているようである。
『駿国雑志』は、大山方の始祖として大山検校城與という人物をあげているが、
この人物の実在性は確認できないとも述べている。また、戸島方は戸島検校冷一(嶺一)を始祖とするという。
10-3
六派のうちの妙観・師堂・源照・妙門の4派は派祖の法名を派名として名乗っている。
残りの戸島・大山はそうではない。
歴史的経緯としては、おそらく、一方から妙観・師堂・源照の各派が、八坂方から妙門派が、それぞれ独立した後、残りの者がまとまって、戸島・大山というグループになった。
つまり、一方は「妙観・師堂・源照 プラス その他」、八坂方は「妙門 プラス その他」で、「その他」にあたるのが戸島、大山である。
10-4
関、佐倉(桜)の両派は、一方、八坂方のいずれでもない別のグループであったという可能性も考えられる。
いわゆる「当道」所属ではない、まったく別の琵琶法師集団であったかもしれない。「平家」をやらない琵琶法師集団である。
そう考えると、関派は蝉丸系の集団であったのかもしれないが、それ以上のことはわからない。
10-5
妙観・師堂・源照・妙門の4派の名称は派祖の法名に由来するが、関や佐倉(桜)は法名であろうはずはない。
佐倉(桜)で想起されるのが瞽女縁起に名が現れる「かしわ派」という瞽女の流派。植物の名にちなんだもので、佐倉もやはり本来は「桜」であっただろうと思われる。